国の独立は目的なり.今の我が文明はこの目的に達するの術なり―西洋心酔と保守主義の相確執する明治初期,文明の本質を論じ,文明は文明自らに意味があるとした上で,今最も優先すべき課題は日本国の独立であり,西洋文明を学ぶのもそのためであると説く.『学問のすゝめ』と共に時代の展開に大きな影響を与えた福沢の代表的著作.
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福泽谕吉 Fukuzawa Yukichi
1835~1901
曰本明治时代资产阶级启蒙思想家,教育家,一个有渊博知识、过人眼光、非凡胆识的,将思想与行动完美结合的大学者;庆应义塾创始人。
1835年 1 月10曰生于大阪,卒于1901年2月3曰。自幼学习汉字,受儒家思想熏陶。1854年赴长崎游学。
1858年受藩命到江户(今东京),在筑地开藩属兰学塾,任教师。1860年,随幕府遣美使节团赴美访问,深受西方资产阶级近代文明影响。
1861~1862年,随幕府遣欧使节团历访法、英、德、俄、荷兰、葡萄牙各国,广增见闻。1867年再次赴美国访问。
1868年明治新政广付成立后,他将兰学塾迁往东京芝新钱座,称庆应义塾,从此专心从事教育和著述。1871年又将义塾迁至三田。积极倡导文明开化,宣扬爱国、报国思想,主张民族独立和国家富强,反对西方列强的压迫。
1873年,他和森有礼等人创立明六社,出版《明六杂志》,从事启蒙活动。他的译著《西洋情况》、《西洋旅行指南》等多是介绍西洋文化的启蒙著作。此外,《劝学篇》和《文明论之概略》是其最有代表性的著作。1885年,在他创办的《时事新报》上发表《脱亚论》,主张曰本与欧美列强一起瓜分、宰割中国和朝鲜,进而争霸亚洲与世界。他一生未入仕途,著书100余种。晚年著有《福翁自传》。
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第1章 議論の本位を定る事
第2章 西洋の文明を目的とする事
第3章 文明の本旨を論ず
第4章 一国人民の智徳を論ず
第5章 前論の続
第6章 智徳の弁
第7章 智徳の行わるべき時代と場所とを論ず
第8章 西洋文明の由来
第9章 日本文明の由来
第10章 自国の独立を論ず
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