人間の信頼と友情の美しさを、簡潔な力強い文体で表現した『走れメロス』など、安定した実生活のもとで多彩な芸術的開花を示した中期の代表的短編集。「富士には、月見草がよく似合う」とある一節によって有名な『富岳百景』、著者が得意とした女性の独白体の形式による傑作『女生徒』、10年間の東京生活を回顧した『東京八景』ほか、『駈込み訴え』『ダス·ゲマイネ』など全9編。
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1909‐1948。青森県金木村生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。 ’39年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富岳百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺.
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私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまづしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言はれて、だまつてそれを受けていいくらゐの、苦悩は、経て来た。
中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。
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